2019年10月01日
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今日は、私と陣内さんに関わりのあることを中心にしながら、私が何を考えて陣内さんと研究交流をするようになったのかという話ができればと思います。
1970年代半ばから80年代という時代は、歴史学にとって大きな転換期だったと思われます。それは日本に限りません。日本と欧米の歴史学にとって、ひとつの転換期であったのではないか。同時にそれは、戦後の世界システム、世界のあり方が大きな転換を余儀なくされる時期でした。
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歴史研究は、過去の時代に即して、どういう技術や、道具、考え方があったのか、どういう社会関係だったのか、そういったことを無視しては歴史的対象を分析することはできません。同時に、研究者自身が、現在においてどういう時代的コンテクストのなかで問うているのかということも、やはり外せない。
とりわけ都市史や建築史では、「物質性」を不可避的に考えざるを得ないところがあります。われわれは研究のなかで多様な技術や素材を、科学技術やテクノロジーの問題としてはもちろん、文化的に伝承される技術として位置づけて、「文化技術(カルチュラル・テクノロジー)」という概念をつくって考えてみてはどうか、というような議論もしていました。
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1970年代半ばから80年代を振り返ると、日本では「戦後歴史学からの決別」がはっきりし、この時期に書かれた本に「~再考」や「~批判」という本が非常に多いことがその状況を象徴しています。
こうした再考の動きのリーダーとなる二宮宏之さんという歴史家が、1976年に筑摩書房の広報誌に「全体を見る眼と歴史家たち」という非常に優れたエッセイをお書きになって、そこで歴史学の捉え方の転換を柔らかく訴え始めました。また、二宮さんの友人でフランスの「新しい歴史学」を引っ張っていたジャック・ル・ゴフが同年に来日し、一種の歴史人類学の提言を強く訴えかけました。
日本の戦後の歴史学においては、基本的に社会経済史と政治史がオーバーラップする社会経済史が主流だったわけですが、それに対して、歴史を生きていた人たちの目線から物事をいかに捉え返すか、といったことが色濃く表に出てくることになります。
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私は1946年生まれで、陣内さんは1947年生まれなので1歳違いです。まさに戦後日本を生きた世代で、社会にものがない時代からものがあり余る時代まで、批判的に捉えながら生きてきた人間です。もちろん日本史のなかでもすでに60年代から色川大吉さんや安丸良夫さん、網野善彦さんをはじめ、戦後歴史学を批判する展開がありましたが、まだまだそれが強い潮流にはなっていなかった。その潮目が変わりだすのが、70年代の半ばからだと言えます。
私もその動きのなかで自分自身の研究の方向を模索していました。そうすると、たとえば都市の問題などが第1に思い浮かぶ。あるいは逆に近代化、産業化が進むなかで農村が崩壊、ないし変容していく問題。少し前までは、日本で言えば柳田民俗学がその要素を収集していたような、豊かな文化を持った生活世界が、その後どうなっていたのか、こういう問題への関心が改めて非常に強くなってきた時代でした。
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私が陣内さんの仕事を最初に読んだのは『東京の町を読む』(相模書房/1981)の元になった報告書だったと思います。これは陣内さんが法政大学の学生たちと、東京の街を実際に歩いて実測をしながら、地道にコンテクストを調査して、都市と建築、歴史と現在、それら両面から考察した報告書です。前後して『都市のルネサンス』(中央公論社/1978)も読みました。
私もほぼ同じ時期に留学していたので、こんなすごい仕事をした人がいるのかと驚いたわけです。のちに陣内さんとふたりでヴェネツィアを歩くという贅沢な体験をしました。陣内先生はヴェネツィアの生き字引みたいなものですから、とにかく空間構造を熟知なさっている。空間構造を、実測を含めて検討していきながら、同時にその空間のなかでの実際の人々の生き方、実際行動も見ている。どちらかだけでは不十分で、陣内先生はその両方の総合性を追究されて、きっちりと表現していらっしゃる。ここに非常に強く惹かれました。これは、言うのは簡単ですが、現実の都市や建築について、具体的かつ説得的に論じるのは、容易なことではありません。
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私自身が現在を生きるなかで、近代文明の行き詰まり、言い換えれば産業文明の行き詰まりを強く感じます。シヴィライゼーションのあり方自体を地球規模で考えなければ、地球が壊れるという言い方を私はことあるごとにしています。後につながるような発想を留学後、日本に戻ってきて強く考えるようになり、フランスの近代に注目しながら近代化のプロセスを捉え直し、それを日本と対照させながら考えたいという意識をもつようになっていました。
19世紀のフランスは国民主権や近代国家の形成、あるいは近代社会の形成という局面で、それまでとガラっと変わったと誤解している方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではありません。18世紀末のフランス革命で近代国家と社会の原則が提出されましたが、それらはすぐには実現しませんでした。19世紀フランスは、政治的には大混乱の時代、新旧のせめぎ合いの時代です。
また、大きく見れば近代化、国民化が推進され、産業化が本格的に進められた時代で、当然それは都市化の進行というかたちで社会を変え始めます。都市、特にパリのような大都市は、19世紀の半ばから明らかに近代性を明確にし始める。しかし、そのとき農村部はどういう状況であるのか。農業技術が改善されて、鉄道や水運などでの流通も発達し、農産物が広く市場に出せるようになる。多様な情報も入ってくる。しかし他方で、各地方では、それぞれに伝統的なリズムをもった生活パターンも、依然として続いていました。
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そこで、われわれが現代を考えるためにも、この時代の都市と農村を対立的に見るのではなくて、両方の関係のなかで捉えようと考えました。
都市に引き寄せれば、都市の場所性、あるいはさまざまなネットワークのなかでの都市の位置を、考えなければいけません。日本でも出稼ぎ現象がついこの間まであったわけですけれども、そうした動きは19世紀頃のフランスでも活発に起こります。地域住民が、季節によって農民であったり、都市に出て労働者であったりする。そうすると、行ったり来たりのなかで都市と非都市の関係はどうなっているのか。こうしたネットワークのなかでの都市、あるいは都市と周辺の地域、周辺の小さな町を考えるわけです。
また、都市と言っても、都市内部のあり方、都市社会は均質ではありません。都市内部の差異をどう捉えるか、社会と文化のあり方をどう考えるかが、もうひとつの重要な論点になってきます。そうしたなかでフランスでは、19世紀の半ば頃、第2帝政下に「オスマン化」と呼ばれるパリの都市大改造が始まります。この世紀末まで続く都市の空間と機能の改造が、人々の生き方にとってどのような意味をもつのか、あるいは歴史的なパースペクティブのなかでどのように位置付くのかを考えていました。
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歴史学は幅広いものですから、研究と考察にはいろいろなファクターが絡みます。たとえば都市のあり方、都市と農村の関係性のあり方について、社会学が行っているような、特に20世紀後半の現代都市社会についての知見は、大きな蓄積としてあります。
あるいは、都市研究には技術史の要素も絡んできます。さらに、ヴィクトル・ユゴーが『レ・ミゼラブル』で都市の貧民窟を端的に描いているように、文学にもつながっていきます。つまり、ある限定された範囲のなかで歴史の研究探索を行うのですが、考え方はどんどん学問的には広がっていくのです。
フランスに焦点を合わせて考えていると、日本人なのになぜフランスのことばかりやるのだとも自問するわけです。日本のことにももちろん関心がある。しかし、専門的に多様な資料やデータを自ら読む余裕はあまりない。そうしたときに、専門家たちと研究交流して互いに議論し合うことを志しました。
ちょうど、焼酎の「いいちこ」をつくっている三和酒類がメセナ活動として、社会思想家の山本哲士さんを組織者として1986年から雑誌『iichiko』を出し始めました。はじめの頃は私も手伝っていて、テーマとして都市は現代を考えるひとつの重要なポイントとなると考え、研究会や雑誌のための調査、あるいは論考の執筆で陣内さんに関わってもらいました。
これと並行して、超領域的に研究者や実務家に呼びかけ、1990年から都市をめぐる研究会「文化科学高等研究院」を始めました。この研究会は、かたちを変えて10年ほども続きました。1990年9月27日に、陣内さんに「地中海都市からの発想」という報告をこの研究会でしてもらっています。これは一種の迷宮性をもった都市についての報告で、ものすごく刺激的だった。都市史では陣内さんだけでなく玉井哲雄さんなど、日本史やアジア史の方々を含め、いろいろなかたちで横断的な研究と議論をさせていただいていました。
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そうした動きを積極的にするうえで、1970年代半ばから80年代のフランスで展開していたアナール派の「新しい歴史学」と銘打った動きが、私にとっては批判的な対象として参考になっていました。当時の日本では、社会史との絡みで、アナール派という用語は知られるようになっていましたが、中身が適切には伝わっていなかった。他方、フランスでは伝統的に国家政治史が非常に強い力をもっていたので、それを避けて政治から外れたところで歴史研究の可能性を追求するという発想が、当時のアナール派には強くあって、私などは、そういう考え方には批判的でした。そういう批判的スタンスも含めて、「新しい歴史学」というフランスでの動きをどう受け止めるべきか、ということで編集したのが『歴史のメトドロジー』(新評論/1984)でした。『都市空間の解剖』(新評論/1985)など、アナール派の歴史家が書いたものの翻訳を出したりもしました。
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このように、互いに敬意を払いながらオーバージャンルで自由に議論をする場であり、それぞれがそこから何かヒントを得て自分の発想を次に展開していく、そういう研究会だったと思います。今こそ、そういう動きがもっとあっていいのではないかと思います。それこそ、インターネットを通じて技術的にもいっそう可能なのではないでしょうか。しかしなぜかジャンルごとのグルーピングがいっそう進んでしまっているように、私には見えます。
陣内さんは都市や建築が専門で、日本では建築は工学系ですから、ご自身も工学部を出ていてハードもよくわかっている。さらに社会学ないし考現学的調査、生活意識の聞き取りなど、ソフト面の追究も欠かさない。陣内秀信という、こうした生きたモデルが法政大学には目の前にあるのですから、ジャンルを超えた発想のぶつけ合いや切磋琢磨が、もっとあってもよいのではないか、と思っておりますし、そうなることを期待しています。
(2017年の10月31日の講演より)
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福井憲彦[ふくい・のりひこ]
1946年生まれ。1970年東京大学文学部西洋史学科卒業、1974〜76年フランス政府給費留学生としてパリ第1大学に留学。1977年東京大学大学院人文科学研究科(西洋史学)博士課程中退。
東京大学文学部助手、東京経済大学助教授を経て、1988年学習院大学文学部史学科に赴任。2007〜2014年学習院大学学長、2014年文学部史学科教授に復帰。2017年学習院大学定年退職。学習院大学名誉教授、公益財団法人日仏会館理事長。2018年より獨協大学外国語学部特任教授。
著作に『ヨーロッパ近代の社会史――工業化と国民形成』『歴史学入門』ともに岩波書店、『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』講談社、『近代ヨーロッパ史――世界を変えた19世紀』筑摩書房、『世界歴史の旅 パリ――建築と都市』山川出版社(共著)ほか、編著書や訳書など多数。