法政大学建築フォーラム2017「建築史の可能性への挑戦」講演録|第6回


第6回「都市東京の近未来:新たな都市居住のイメージ」
北山 恒(建築家)

「1968〜70年」という時代の切断面

2017年8月に出版した、『建築的冒険者たちの遺伝子』(彰国社/2017)という本から始めたいと思います。昨年、私がギャラリーIHAで企画した連続レクチャーを、法政大学北山研究室で書籍にまとめたものです。
この本の冒頭には、パリの五月革命(1968年)からソ連崩壊(1991年)までの建築年表がついています。この年表の始まりの1968~70年は時代の切断面です。丹下健三や前川國男などそれ以前の日本の建築家と、それ以降の建築家はまったく別のカテゴリーであり、それをレポートした本です。パリの五月革命と同じ年に日本は世界第2位の経済大国になります。1970年代の日本では、カンブリア紀の種の爆発のように若手建築家たちが建築的冒険を行い、とても沸き上がった時代です。槇文彦さんは、それを「平和な時代の野武士たち」と表現していました。
当時、僕は新宿にある都立高校の学生で、1968年の「新宿西口フォークゲリラ」という運動も、1969年の東大闘争も身近で見てきました。

『都市のルネサンス』とパッラーディオ、『都市の建築』

1978年に陣内さんの『都市のルネサンス』(中央公論社 /1978)が出た翌年に、この本を持って私はイタリアに行きました。その頃磯崎新がパッラーディオを引用する文章を書いていたのですが、まったく理解できなかったのでとにかくパッラーディオを見たいと思いました。
4カ月ほどかけ、現存するパッラーディオの建物を全部見ました。パッラーディオの建築は自律するフリースタンディングオブジェのような純粋な建築で、ある思想のなかで合理的につくられている。そういう意味でモダニズムの建築に近いと感じました。同時に、そのフリースタンディングや自律する傾向から、ヴェネツィア本土のような既存の都市組織のなかに織り込むことができない建築だったのではないかと思うのです。

当時は、観光ガイドのように読んでいた『都市のルネサンス』ですが、とても重要な思想が書かれていたことがあとでわかりました。おそらく日本ではじめてサヴェリオ・ムラトーリの思想、つまり都市組織論と建築類型学を伝えた本だったのではないかなと思います。
その後アルド・ロッシが『都市の建築』(1991/大竜堂書店)という本を出していますが、これもまったく理解できなくて、あるとき、ふとこの『都市のルネサンス』を読み直してみると、ようやくアルド・ロッシの言っていることが理解できたのです。
しかし都市組織論は、連続壁体でつくられ、長いスパンで都市空間が継続していくイタリアの都市では有効かもしれませんが、粒々の集合である日本の粒子状都市においては、無関係なものだと感じました。
ところが1985年に出された『東京の空間人類学』は、都市組織論と建築類型学という構造をもちながら、東京という都市空間にある領域を時間と空間のコンテクストで紡いでいくという都市の見方が示されていました。当時、西洋で議論されていたコンテクスチュアリズムが日本でも有効であるということを教えてくれた画期的な本でした。

人間集団の集合形式

陣内さんの言葉を借りて、「視線の空間人類学」というタイトルでこの夏(2017年)レクチャーをしました。人はほかの動物と同じように縄張りをもっています。文化人類学者エドワード・ホールによると、人は半径3mくらいの縄張りをもっている動物です。人は視線が合うだけで緊張します。互いの縄張りに接するときにはさらに極度の緊張状態となります。
この緊張を解除するのは挨拶です。挨拶によって相手に敵意のないことを示し、互いを認識します。目を合わせて挨拶をする関係を「ネイバーフッド」と言います。この顔見知りの関係をもつ社会集団にはスケール限界があり、人類学の研究では個体認識の限界が150人くらいと言われています。
お互いの顔を知った集団が管理する空間を「コモンズ」といいます。共有地がパブリックに開かれるとコモンズが壊されてしまう。これを「コモンズの悲劇」と言いますが、これは見知らぬ関係ではコモンズが成立しないということを示してもいます。
レヴィ=ストロースのフィールドノートに描かれたボロロ族の環状集落は直径100mほどで、150人ぐらい人が生活していました。アマゾンの上流につくられたイエズス会の植民都市のグリッドパターンの街区システムも100mほどの単位です。
江戸の町も古代の条坊制を受け継ぐ60間四方の正方形街区を単位としていたと、陣内さんの『東京の空間人類学』にも書いてあります。60間は約108mで、これも同じようなスケールです。100mというスケールは人が身体的コミュニケーションをとることができる最大距離です。サッカーなどのフィールド競技も長辺が100メートルです。

ヴェネツィア・ビエンナーレ「Tokyo Metabolizing」

2010年に私はヴェネツィア・ビエンナーレ日本館のコミッショナーを務めました。タイトルは「生成変化をし続ける東京――Tokyo metabolizing」です。
パリ、ニューヨーク、東京の都市を比較し、パリは19世紀を表象する都市であるとして「City of Monarchism」(王政の都市)、ニューヨークは20世紀を表象する都市であるとして「City of Capitalism」(資本主義の都市)、東京は「Metabolizing City」(生成変化し続ける都市)というタイトルをつけて、21世紀の都市の主題は、無名の住宅地のリサイクルであるという展示をしました。このなかで展示した作品は、東京の木造密集市街地につくられた住宅です。

パリは、1853~71年までの18年間に、行政官のジョルジュ・オスマンの手で一気に今の都市風景がつくられました。暴動を鎮圧するための都市改造であるといわれ、都市は監視を要求することが、スタープランの道路パターンで示されています。見通しのよい大通りによって都市組織が均質化され、オスマン・ファサードが貼り付けられているのです。
ニューヨークは1929年の大恐慌までの30年くらいの間にスカイスクレーパーによる都市風景がつくられました。ニューヨークは20世紀に世界中につくられる現代都市モデルですが、マンハッタン・グリッドの枡目のなかで、「完全な土地私有と自由な市場経済」によってつくられた都市です。
この現代都市という都市類型は、19世紀のシカゴにはじめて登場します。1871年のシカゴ大火からの都市の再生が行われた際に、オフィスビルが建ち並ぶ都市中心部と郊外の専用住宅地という都市構造がはじめて出現したのです。 
資本主義が支配する現代都市では、共同体が弱められ、社会の階層化を進行させ、毎日定時に通勤のため往復運動をする日常生活を強いられる。そして専業主婦というジェンダーが生まれる。女性と男性の役割が異なる社会がここで生まれます。この現代都市という都市類型が20世紀に世界を覆い尽くしていくわけです。

Metabolizing City――生成変化し続ける都市

東京も同様にオフィスビルの建ち並ぶ都市中心部と、郊外の専用住宅地がつくる風景が当たり前になっています。東京には無名の建築で構成されている木造密集市街地という都市組織が存在し、それが7,700ヘクタールというひとつの都市を包含するほどの広さをもっています。この木造密集市街地は小さな粒の集合です。この建物の寿命は26年ほど、たったおよそ30年でどんどん生成変化をしている不思議な都市が東京です。
私は横浜国立大学にいたときに木密を研究対象として、「社会環境単位」という居住都市モデルの研究をやっていました。その頃に、木造密集市街地で「Tokyo urban ring 町屋計画」と「祐天寺の連結住棟」という集合住宅を設計しました。そこでは、透明な壁体と視線が交錯する空間形式をもたせることで、共同体意識をつくろうと考えたのです。
法政大学は陣内さんの都市組織論や建築類型学を身近に感じていることもあって、その影響を強く受けています。現在、法政では東京のヴォイドのタイポロジー、都市内でのヴォイドのネットワークを研究しています。土地の所有が細分化されているため、空間の共同化は困難になっているのですが、土地所有の主体と空間使用の主体を分離する、そのマネジメントを研究しようとしています。

モダニズム以降の定常型社会に向けて

日本の人口動態を見ると、古代から緩やかに増加し、江戸時代に人口の増加しない安定した定常型社会となっています。田中優子さんの本を読んでいると、江戸時代は非常に豊かな生活がなされていて、定常型社会はひとつの豊かな社会のモデルではないかと思うようになりました。そして20世紀になると産業化に伴い人口が急激に増加し、そして2008年をピークに漸減しています。ひょっとするとこれは近代という時代が終焉し、新しい世界になりつつあるのではないかと思うのです。
ヨーロッパも現在は人口が減少し始めています。都市型社会になったところは世界中どこでも出生率は2.0を割っていて、21世紀には都市人口が世界の人口の7割になると言われています。都市型社会においては、人口は増えず減少するのです。
私たちは、人口が急激に膨張し、そしてこれから急下降するという特異な山頂にいるわけです。人口が急激に膨張する時代は、人口再生産装置としての住宅が重要な社会的要件で、そこではプライバシーの高い「1家族1住戸」が求められていました。一方で20世紀に都市は経済活動のために都合のよい現代都市という都市類型に改変されました。そこに大きな軋轢が生まれ、都市の問題が顕在化しています。この時期に多くの都市論が提示されましたが、減衰する社会に対する新しい都市論が要求されます。それは、新しい共同体をサポートする空間ではないかと思っています。伊東豊雄さんの「みんなの家」はその先駆けだったかもしれません。法政大学の「江戸東京研究センター」はそれをつくる可能性をもっています。そして、そこでは陣内さんの都市建築に対する思想がとても意味あるものになっていると私は思っています。

民兵としての建築家――グローバリズムの先の建築家

1960年に丹下さんが東京湾上に壮大な都市モデル「東京計画1960」を提案しています。海上ですから、コンテクストのない白図のタブラ・ラサに置かれた都市モデルです。これから私たちがやろうとすることは、コンテクストの濃密な既存の都市組織のリサイクルを狙うものだと思っています。槇さんの『残像のモダニズム』という本のなかに「1970年代にモダニズムという大きな船がなくなり人々は海に投げ出された」といった記述がありますが、この「漂うモダニズム」以降のグローバリズムの先にある建築家の職能のありようが「軍隊」と「民兵」という言葉で描かれています。
野武士の次は民兵か、というところですが、軍隊と民兵というように、それだけ社会構造が分かれてしまったということで、都市をつくる主体が変わっていると言っているのだと思います。軍隊には思想はありませんが、民兵は自分の頭で考えていくものです。槇さんは、これから先の希望として「共感のヒューマニズム」というキーワードと、「アナザーユートピア」というアイデアを出しています。槇さんは僕よりはるかに歳上の偉大な先輩ですが、槇さんと同じ方向を向いて、この「江戸東京研究センター」で都市東京の近未来研究を続けていきたいと思っています。
(2017年11月21日の講演より)


北山 恒[きたやま・こう]
1950年生まれ。横浜国立大学大学院修士課程修了。1978年ワークショップ設立(共同主宰)、1995年architecture WORKSHOP設立主宰。横浜国立大学大学院Y-GSA教授を経て、2016年法政大学建築学科教授。代表作に「洗足の連結住棟」「HYPERMIX」など。受賞歴に、日本建築学会賞、日本建築学会作品選奨、日本建築家協会賞など。主な著書に、『TOKYO METABOLIZING』TOTO出版、『in-between』ADP、『都市のエージェントはだれなのか』TOTO出版、『モダニズムの臨界』NTT出版など。