2019年10月01日
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陣内先生の後輩ですが、私自身は日本の都市の歴史を研究していました。最近、私たちの研究室でイタリア・ヴェネトのアゾロという街を調べていて、それに陣内先生にも参加いただいてフィールドワークを進めています。そうした関係から日伊の比較もふまえ、今日は、私の目を通した陣内先生の研究や活動を、都市史研究の系譜に位置づけて考えていきたいと思います。
今日の話は大きく4つです。ひとつ目は「建築史からの都市史研究の系譜」。建築からの都市史に対する貢献はたいへん高く、今後もその地位を保っていくだろうと考えています。ふたつ目に「学際的都市史研究の展開」、3つ目は「方法的展開と陣内都市史」、4つ目に「陣内都市史の特質と地平」ということで、都市史に何が可能かを考えていきたいと思います。
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おそらく最初の建築側からの都市史研究と思われるのは関野貞による1905年の「平城京及大内裏考」です。平城京という都市がどのような構成をもっていたかを明らかにする論文です。次に、大正から昭和にかけて、大熊喜邦の江戸時代の住宅についての研究があります。特に住宅が法律や社会制度とかなり関係しているという視点は、いま見ても斬新です。
本格的に都市の研究が日本で始まったのは、建築史の分野では戦後から高度経済成長期です。民家に対する関心の高まりと都市保存の問題を背景に、都市に対する関心が高まってきました。1964年には東京オリンピックが開催され、1960年代は建築家が「アーバンデザイン」を標榜し、都市に向かっていた時代でした。
そのなかで、3つの研究が注目されます。ひとつは伊藤鄭爾による奈良の中世を対象にした画期的な研究である「中世住居の研究」です。ふたつ目に、京都で西川幸治の「都市構成に関する史的考察」という学位論文。3つ目は、東京工業大学出身の内藤昌によって『江戸と江戸城』という江戸の都市史としてはじめてまとまった研究が発表されています。
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70年代から80年代にかけて、ようやく実証的な都市の研究が展開していきます。「実証的」とは、簡単に言うと信頼できる1次史料に基づく研究です。建築史の分野でも同じことが起きていました。この時代にひとつの都市史のピークをつくったのが、陣内先生と同世代の玉井哲雄と髙橋康夫です。
玉井は70年代の終わりに「江戸町人地に関する研究」という博士論文をまとめました。玉井は日本史の方法をふんだんに使った都市史研究を展開し、のちに『江戸──失われた都市空間を読む』も刊行しました。その頃、京都大学の髙橋康夫は中世京都に関する研究に取り組み、中世京都の街区の復元について詳細な研究「中世京都の展開過程に関する都市史的研究」を展開していました。
もうひとり忘れてはいけないのが、野口徹の存在です。残念ながら40代でお亡くなりになり、研究としては1968年に建築学会で発表した「土地所有形態から見た近世町空間」という論文がひとつあるだけです。野口の逝去後、修士論文をまとめて『日本近世の都市と建築』として出版していただいた経緯があります。都市の「細胞」である町屋敷を徹底的に分析した優れた研究です。
私たちはその後の世代です。同世代のひとりは宮本雅明という九州大学の研究者です。京都大学の出身で、近世城下町のヴィスタを徹底的に解明した研究者として知られています。私はそういう研究を見て、最初に大坂の成立過程に関する研究を始め、その後近世都市、中世都市へと研究を広げていきましたが、それまでの世代の方々の研究が大いなる参照源になっています。
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1980年代には、これまで挙げてきた都市史研究とは別の文脈で「東京論」が集中し、一世を風靡しました。
代表的な東京論を4つに類型化すると、初田亨の『都市の明治』は路上からの建築史ということですがかなり実証的であり、実証派論文と位置づけたいと思います。吉見俊哉の『都市のドラマトゥルギー』は盛り場論です。浅草と銀座というふたつの盛り場の類型が50年後の渋谷と新宿に同じかたちで再現されているというアイデアがおそらく最初にあってそこから組み立てられており、テーマ派論文の典型です。
それぞれの東京計画について詳しく分析し、明治という時代を俯瞰して見る藤森照信の『明治の東京計画』と13の短編から構成される鈴木博之の『東京の地霊』は、物語派論文と言えます。『東京の地霊』は、80年代に発表されたものではありませんが、その原型となる「東京における住宅地開発の比較文化史の研究」をこの時代に提出しています。
他方、陣内先生は、最初から現在に至るまで徹底してフィールドにこだわってこられた。もちろん、みなさんフィールドには出ていますが、フィールドそのものが方法になっているという点で、陣内先生は特異な“フィールド派”だと思います。
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建築史のなかの都市史をまとめてみると、一方にはかなり建築史学寄りの、建築史からスタートした都市史と言ってもいいかもしれないものがあり、他方には、限りなく歴史学に近いもので、文献史学的な方法を使う研究があります。このふたつの極の間で、今までにご紹介してきたようなさまざまな研究がなされてきたと言えます。
陣内先生の研究は、今まで見てきた日本の前近代都市史の流れとは必ずしも直接的にはつながらないわけですが、これらの研究動向は当然ご存知だったと思います。陣内先生の都市史には、〈比較〉という視点が常にある。それは建築史学や歴史学に偏らない方法論で、「都市デザイン・設計論」「都市空間史」という領域に大きく重なってきます。
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学際的な研究グループはすでに1970年代に登場したと思いますが、大きな事件は「地中海学会」の誕生ではないかと思います。1977 年に地中海を対象としたあらゆる学問分野がともに研究する、本格的な学際研究の場として設立され、2017年に創立40周年を迎えました。陣内先生は第8代会長を務められ、設立当初から主要メンバーとして活躍されているように、建築の分野が地中海学会に果たした役割も非常に大きかったと聞いています。
ここで先ほど申し上げた〈比較〉というキーワードが重要な視点になります。対象は地中海ですが、それぞれの分野をどう比較するかという視点がつねに問われるわけです。のちに「イスラームの都市性」(1988〜90年)という板垣雄三を中心とした研究グループにも接続して、陣内先生はそこでも学際的な研究を進められました。
私の研究に引き寄せてお話しすると、日本においてはやはり1970年代に日本史と建築史との間でのコラボレーションが起こります。玉井哲雄と吉田伸之、あるいは髙橋康夫と吉田伸之からスタートして、現在にも続いています。
2010年には吉田と私で『伝統都市』を編集しました。これは執筆者に日本史だけではなく、西洋史、東洋史から土木史、地理学、考古学……などさまざまな方々に入っていただき、研究的プラットフォームを形成するひとつの契機になりました。2013年にはじめて都市史にかかわる本格的学際研究の場として「都市史学会」をつくりました。これは現在も進行中で、ここでも陣内先生には2代目の会長になっていただいています。
さらに「都市史小委員会」の活動があります。これは、日本建築学会で都市史を位置づけるためにたいへん重要な契機になりました。1999年から現在まで続いていて、60名以上の研究者が在籍する一大プラットフォームを形成しています。
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イタリアでスタートした建築類型学という方法が日本に持ち込まれたこと、これは陣内先生の功績です。陣内先生はイタリア留学から帰ってすぐに中央公論社の新書で『都市のルネサンス』をお書きになって、ヴェネツィア建築大学でいかに都市の研究が進んでいるかをわかりやすく紹介しました。私はそのとき、東大の稲垣栄三研究室に所属したばかり、都市の調査を研究室で始めた頃で、対象は広島県竹原市でした。当初、建築調査班は個別に民家を調べて、都市調査班は古地図を調べていましたが、陣内先生が参加してからは悉皆調査になりました。つまりいい建築だけ見ていてはだめで、都市全体を調べなければいけないということでした。つまり、都市のあらゆる要素は等価値であるという見方です。水路や塀など、さまざまなものが都市に存在し、それらを等価値に見るという視点は衝撃をもたらしました。もうひとつは都市組織の解読の妙です。
今ではイタリア都市にとどまらず、イスラーム、中国、スペインなど、地球規模でフィールドワークの研究対象が広がっています。東京の研究も継続的に進められていて、とくに郊外の研究は注目されるところです。里山や聖なる場所に親和性をもつ都市での研究も進められています。
それから、フィールドを通して後続研究者が育ったということが重要です。たくさんの研究者がフィールドを通じて教育を受け、研究者として独り立ちしています。今やテリトーリオと水系ということで、陣内先生の水都学に向けて研究が結集しているところです。これらを見ていくと、やはり陣内先生が提唱された〈空間人類学〉という言葉がたいへん大きな意味をもつことがわかります。
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以上のように、陣内先生の都市史の特質を研究史に位置づけて、これからの地平について考えました。まず、陣内先生の3つの特質です。ひとつは〈比較〉の視点。比較というのはたいへん難しくて、まずは「似ている」(外貌)ところからスタートして、性質が「同じ」(質)を経て、「システム」(原理)にまで至ります。それは分厚いイタリア都市研究の経験をベースにもつ陣内先生の都市史の特質であって、単一の対象から導かれる都市史では到達できない豊富さと魅力が横溢しています。
ふたつ目は、〈フィールド派〉をあくまで貫く矜持です。「フィールドなしに論点なし」。あらゆる論点は机上の空論ではなくて、現場から導かれる。つまり演繹的テーマ主義とも機能的実証主義とも異なる地平を拓いています。
3つ目は〈空間人類学〉です。建築・都市の空間はもとより、人、社会、食文化、祭礼、親和性などが人類学的な視点として総合されているわけで、あくまでそこから空間にこだわって考える視点。それはおそらく陣内先生が切り拓かれた境地だと思います。
最後に、「都市史に何が可能か」について考えます。陣内先生はテリトーリオ、水都学という研究をされていますが、最近、私は「領域史」という言葉を使うようにしています。都市史研究には政治史や国際法などの視点も必要だと考えているからです。
そしてもうひとつ、私が領域に興味をもちはじめたきっかけは、やはり3.11です。これからの都市史においては、「危機都市論」が必要だと考えています。つまり人間の居住を原点に置いた都市史の総合性へとまずは開いていくことが必要です。それと同時に、都市史から建築へどう戻るか。方法的にも事例的にも蓄積をしてきた都市史ですが、いかに建築に回帰するか、いかに建築に貢献できるか、これはたいへん重要なテーマだと考えています。
(2017年の10月17日の講演より)
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伊藤 毅[いとう・たけし]
1952年京都市生まれ。東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得、工学博士。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻教授を経て現在青山学院大学総合文化政策学部教授。専門は都市建築史。
主著に『近世大坂成立史論』生活史研究所、『都市の空間史』吉川弘文館、『町屋と町並み』山川出版社など。吉田伸之と共編著『伝統都市 全4巻』東京大学出版会、など多数。